2011年12月25日日曜日

金正日の娘、ヨジョン

【朝鮮日報】2011/12/25 09:34
【萬物相】金総書記の娘

「君、アウトバーン(高速道路)が閉鎖されたという話を聞いたか」
「いや。アウトバーンがなぜ閉鎖されるんだ」
「そんなことも知らないのか。エッダ・ゲーリングが歩き始めたからだ」。

1939年ごろ、ナチス政権下のドイツで流行したジョークだ。
ヒトラーの後継者とされていたヘルマン・ゲーリングが、娘をどれだけかわいがっていたかということを風刺したものだ。

ゲーリングが歩き始めたばかりの娘の安全を図るため、車道を通行禁止にするほどだったという意味だ。
父親に溺愛されたゲーリングの娘は生まれながらにしてスターだった。
当時、ドイツ全域の文房具店で、ゲーリングの娘をモチーフにしたはがきが売られた。


ナチスの権力者たちも、ほとんどは家に帰れば優しい父親だった。
「ナチスの中のナチス」として悪名を轟かせた親衛隊(SS)の大将ハインリヒ・ヒムラーは、欧州各地にユダヤ人強制収容所を設け、ガス処刑や生体実験によって数百万人のユダヤ人の命を奪った張本人だ。

ところが、娘と一緒にダッハウ強制収容所を訪問した際には、娘にハーブ畑を見せ、詳しく説明するなど、家庭的な一面を見せた。娘が「鉄条網の内側にいる人たちは誰なのか」と尋ねたところ、ヒムラーは「政治犯や凶悪犯だ」と答えたという。

1千万人以上を虐殺した旧ソ連の独裁者スターリンもまた、一人娘のスベトラーナを「小さなスズメ」と呼んで溺愛した。自宅でパーティーが開かれると、スベトラーナはいつも女主人のような扱いを受けた。ソ連の国民はスベトラーナを「姫」と呼び、自分の娘に「スベトラーナ」と命名する人たちも続出した。さらに「スベトラーナ」という名前の香水も登場し、人気を博した。

金正日の娘、ヨジョン氏とみられる女性が正恩の後ろに黒い喪服姿で立ち、弔問客を迎える様子が、22日朝の新聞に掲載された。金総書記は、3人目の妻・高英姫(故人)の間に生まれたヨジョン氏を、食事の際に自分の左隣に座らせ「ヨジョン姫」と呼んでかわいがった。


 ヒトラーは子どもがいなかったためか、犬に愛情を注いだ。「ブロンディ」という名のシェパードと一緒に食事したり、寝たりしていた。独裁者たちが国民の生命や幸福には見向きもしない一方、娘やペットに愛情を注ぐ精神状態を、どう説明すればよいだろうか。スターリンの娘スベトラーナは後に米国へ亡命し、父親を否定する人生を送り、最近死去した。

ゲーリングの娘エッダは「ほかの人たちが悪人だっただけで、私の父はまともだった」と語った。金総書記の娘ヨジョン氏は、自分の父親が世界に類例を見ない共産主義世襲独裁を実行に移し、数百万人の人民を飢え死にさせた事実を知ったら、果たしてどう答えるのだろうか。

【九州電力】 原子力発電所の稼動がゼロへ

九州電力

原発稼動「ゼロ」=1980年、当時唯一の玄海原発1号機が定期検査でストップして以来31年ぶり

■玄海原子力発電所

1号機(定格電気出力55.9万キロワット)平成23年12月1日から第28回定期検査を実施。

2号機 55.9万 23年1月29日から23回定期検査中

3号機 118万 22年12月11日午前1時 13回定期検査中

4号機(出力118万kw)第11回定期検査

25日深夜、定期検査に入るため運転を停止。
25日午後4時頃から出力を徐々に下げ、同11時に止まる予定


■川内原子力発電所

1号機(定格電気出力89万kw)22年1月04日から、第20回定期検査中

2号機(定格電気出力89万kw)23年9月01日から第20回定期検査を実施。

ロシア連邦宇宙庁 軍事衛星が落下




【インタファクス通信】

 23日、ロシア北部プレセツク宇宙基地から軍事衛星を載せたロケットが打ち上げられたが、衛星は予定の軌道に乗らず、地上に落下した。

 ロシア連邦宇宙庁は詳しい原因を調査中だが、打ち上げロケットの3段目部分に問題があったとの見方を示した。


ロシア国防省は23日、ロシアの通信衛星メリディアン(Meridian)を積んでロシア北部のプレセツク宇宙基地から同日打ち上げられたソユーズ2.1Bロケットが、シベリアに落下したと発表した。

 ロシアの通信社は国防省からの情報として、衛星はシベリアのノボシビルスク州に落下したと報じている。ロシア宇宙軍の報道官は打ち上げの約7分後に第3段ロケットが不具合を起こしたことを明らかにし、詳しい原因は国の委員会が調査すると述べた。タス通信によると打ち上げ9分後に衛星を切り離す予定になっていた。

 メリディアンは北極海を航行する船舶や、シベリアや極東などロシア国内の遠隔地との通信に使う軍民共用の通信衛星。今回はメリディアンシリーズの衛星としては5回目の打ち上げだった。

 ロシアは8月に国際宇宙ステーション(ISS)に向けた無人宇宙貨物船プログレスの打ち上げに失敗したほか、過去12か月間で測位用衛星3基、軍事衛星1基、通信衛星1基、火星探査機1基の打ち上げや軌道投入に失敗している。

■ISSへの人員輸送は成功

 23日には、21日にカザフスタンのバイコヌール宇宙基地からソユーズTMA-03Mロケットで打ち上げられたロシア、米国、オランダの3人の宇宙飛行士が無事に国際宇宙ステーションに到着した。


メリディアンとソユーズの障害の評価 - ロシアの内部の悲哀を是正する
クリスバージンとウィリアムグラハムによって2011年12月23日

ソユーズTMA - 03Mが正常に国際宇宙ステーション(ISS)にドッキングしたわずか数時間前に、別のロシアのソユーズロケットが軌道にメリディアン- 5衛星をロフトに、そのタスクの実行中に失敗しました。障害がRoscosmosチーフウラジミールPopovkinが庁で深刻な内部問題を描いた結果、TMA - 03M用ポストドッキングメディアブリーフィングのメインテーマとなった。

別のロシアの失敗:

その主のためにFobus -作男宇宙船の、地球低軌道(LEO)を出発して失敗した - と予想される再入国来月 - ロシア宇宙庁のために非常に厳しい年であったものを、マーキング、この最新の障害が損失に追加フォボスの使命。

火星探査ミッションの失敗 - それは赤い惑星へのミッションとなるとロシア人がによって荒廃している明白なジンクスに追加するには - ロシアのの展開に失敗したプロトン- MのBriz - M上段に含まれる、波乱の年を考えると、さらに痛かった八月のEkspress - AM4通信衛星、すぐに途中でプログレスM - 12Mは、地球にクラッシュで、その結果、シャットダウンロシアのソユーズ- Uロケットの第三段階が続きます。

また、参照してください。
ソユーズ2.1B故障の更新
L2 ISS第
L2ロシアセクション
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ソユーズ- 2 - 1ロケットはR - 7 Semyorka、世界初の大陸間弾道ミサイルの子孫です。 R - 7はセルゲイコロリョフが設計し、最初の1957年に飛んだれました。修正版はその年の10月4日に初の人工衛星、スプートニク1号を、起動するために使用されました。

R - 7はロケットのルナ、ボストーク、Voskhod、モルニアとソユーズの家族のための基礎を形成し、そしてすべてのソビエトとロシアの有人宇宙飛行を今日までR - 7から派生したロケットを使用して起動されている。

1966年に初めて飛行ソユーズは、、アップグレードおよび軽量遠隔測定システムを搭載したVoskhodロケットの変更、および、より燃費の良いエンジンだった。それは、当初はソユーズ宇宙船を起動するために使用されていましたが、1973年にソユーズ- Uの導入とそれは同様に他の衛星を打ち上げるようになった。

サービスに残っているソユーズ- Uは、、日付から750便に加えて、合成推進剤を使用するように最適化されたソユーズ- U2の構成で約90以上の周囲に作ったこと、最も飛行軌道打上げシステムまで開発です。

ソユーズ- 2は、古いソユーズのモデルから開発、およびデジタル飛行制御システムと近代化エンジンを搭載した。それは2004年に最初に飛び、そしてこれはその第十二立ち上げです。

ソユーズ- 2 - 1A、および追加の推力を提供するRD - 0124第三段階のエンジンを搭載ソユーズ2 - 1B、2つの変種がサービスで、現在です。 RD - 0124 2011年5月3日に稼働を宣言した。

3番目の構成は、ソユーズ- 2 - 1V、現在開発中であり、来年初飛行することが期待されています。それは、他の構成の中核となるステージで使用されているRD - 108Aの代わりに、NK - 33エンジンを搭載し、他の構成で使用されているストラップオンブースターが含まれていません。

ソユーズ- 2フォーム、今年フランス領ギアナのクールーから初飛行を行ったソユーズSTロケットの基礎。ソユーズ- STは、クールーから飛ぶように最適化し、また飛行終端システムと修​​正された遠隔測定システムを内蔵しています。

ソユーズ- STの打ち上げは、軌道に2つのガリレオIOV - M1衛星を行った。

ソユーズ- 2のコアステージ、ブローク - 、単RD - 108Aエンジンを搭載しています。これは、RD - 107Aエンジンを搭載され、それぞれが4つのブースターで飛行の最初の2分間強化されています。 Fregat上段は、oxidiserとして推進剤と四酸化二窒素と非対称ジメチルヒドラジンを使用するS5.98Mエンジンを搭載しています。

Fregatは、2000年に初めて飛行し、ソユーズ- U、ソユーズ- FG、ソユーズ- 2、ゼニットロケットで使用されています。

ソユーズ2.1B故障/内部の問題:

フェアリングが投棄しなかったと主張し、ロシアのメディアの最新の噂とエラー原因の矛盾した報告があります。ロシアの大手記者の一つの主張、Analoly RussianSpaceWebのザック - しかし、ほとんどのレポートは、第三段階の深刻な障害を指す。

"業界筋によると、エンジンの噴射システムへの入り口の前に燃料ラインの圧力で使用可能なテレメトリの解析は、その経由でやけどや壊滅的な燃料の漏れにつながる、燃焼室1号の膨らんだ可能性を示した。"

ロシアの記事はこちら:http://www.nasaspaceflight.com/news/russian/

いくつかの報告が一つの大きな部分がクラッシュすると、人口密集地域に上陸した破片を主張するとともに、地球にクラッシュ、 - 船舶、航空機と地上の沿岸のステーション間の通信を提供するように設計された - 車と宇宙船の残骸につながった結果、入射シベリアの家の屋根を通して。負傷はまだ報告されていない。

オレグKononenko、アンドレカイパースとドンペティットの成功到着時に質問を集中すること要求とソユーズTMA - 03Mポストドッキングメディアブリーフィングの開口部にもかかわらず、ジャーナリストはすぐに以前の失敗についての質問をした。

おそらく他の障害の調査から放射性降下物に関連する - - "すべてが青写真をオフにチェックすることができるではない"氏Popovkinは、最初は問題のエンジンは、手数料がインストールされていた間、2009年に作られた、とされて注意して、失敗を議論するためにオープンに見えた。

氏Popovkinは、彼は同じくらいそのようなコメントはインタプリタを介して渡されたとして、そのような"危機"などの単語を使用して、今年初めに氏アナトリーPerminovから引き継いだ機関についての彼の発言に驚くほど率直だった。

"これは危機のソートに含まれているプログラムの領域があることを証明。今も、私はおそらく問題はエンジンでと言うことができますが、我々はテレメトリに注目するより確実になるために。 (土)によっては、"我々は報告できるようになる結果が得られるようになります

その後、やや衝撃的な啓示は、ロシアの宇宙計画があることを来た - それが懸念されていたほどのように - 真剣に、資金の不足と人口の両方によって駆動される可能性を近代化し、最適化するためにその必要性に苦しんで。

"はい、問題があります。我々は最適化と近代化する必要がある - 我々は、(例えば)追跡システムを近代化する必要がある、"Roscosmosのチーフが追加されました。 "しかし、我々は33%(この過程で)のレベルでのみです。我々はすべてに目を離さないことができないので、我々はすべての設備を近代化する必要があります。

"それは、左の人と誰もがかなり多く、それらを置き換えるために来たときに我々は1990年代にあったトラブル与え、また人材の高齢化だ - 彼らは90年代になっているはずです。"

人口統計学的不均衡を理由に、氏Popovkinは、"指導者とヘッドの多くを置き換える"しながら、より多くの彼らの若い労働者を信頼しなければならないと指摘した。

潜在的なISS影響:

これらの問題は、国際宇宙ステーション(ISS)に宇宙飛行士を起動する能力毎にロシアのバスケットにすべての卵を入れている米航空宇宙局(NASA)、のための非常に不時のです。

彼らの翼は残して、再起動の機能を回避するためにクリップしていたも引退したシャトルの艦隊の確保にほとんど頑固な主張に戻ってそこに起こっている間に、遠く2017年のようなことができなかった - 米航空宇宙局(NASA)の商業クルーのドライブを経由して - 国内の有人打ち上げ能力に戻ります選択の余地がソユーズの打上げ機の座席を購入する数百万ドルのロシアの何百もの支払いを継続するとの米国。

"今日からは、ソユーズの時代は有人宇宙飛行、信頼性の時代に開始された、"Roscosmosは誇らしげに直前にほぼ千億ドル前哨のdecrewingをもたらした進捗車両の故障、と、宣言した。

そして今、この最新の障害が発生した場合もISSは最終的に6つのメンバーの乗組員に戻った日に、駅に影響する可能性があります。この衝撃は故障の実際の根本的な原因に依存し、ソユーズとの共通点は、TMAと進捗状況の発表のために使用。

すべてのソユーズの車両は、バリアントで使用される様々な構成とエンジンで、同じわけではありません。今では失われたメリディアン衛星がソユーズ2 - 1bで開始されたのに対し、例えば、プログレス補給船はソユーズ- Uで起動されている、ソユーズTMA - Mは、ソユーズ- FGによって起動されます。

このような燃焼室のインジェクターやアビオニクスなど - - 違いと車両の間に、いくつかの特定の障害は、ソユーズのすべての亜種の接地になる場合があります。

しかし、第三段階のエンジンが問題であることが確認されている場合、これは第三段階のエンジンだった与え、より多くの深刻な影響を与える可能性があります - 潜在的に指して、プログレスM - 12M起動時に失敗した - 別のエンジンを使っていても配管や線などのロケットを持つ大規模問題、。

情報が第三段階の270第二燃焼に134秒で発生する故障を指していると、問題はどちらのシャットダウン、あるいは爆発のエンジンになる可能性のある燃料の漏れを、引き起こし、配管の障害に関連している可能性があります。

進捗の障害は、後で第三段階のRD - 0110エンジンのガスジェネレータの故障に起因するものとして明らかにし、金曜日のソユーズに伴うRD - 0124は、RD - 0110とは異なるデザインですが、たくさんの障害のあるれましたまた、ソユーズ- FGに影響を与える可能性があるモード - ロケットの製造、エンジン製造、または起動処理のようなプロシージャの失敗。

ソユーズロケットの亜種間でそのような一般的な問題は、憶測になりますが、そのような故障モードは、燃料の汚染や誤った給油を経由して存在することができます。

問題はRD - 0110とは無関係の新しいRD - 0124エンジン、、ソユーズ- Uは、任意の潜在的な接地を避けることがクルーの打ち上げソユーズ- FGと進捗キャリアとフライトテスト/設計上の問題に関連している場合は、その - 長期なら - 6人の乗組員で推移するISSの能力に深刻な影響を持つことになります。

Roscosmosが土曜日にそのテレメトリ調査結果を明らかにする場合は、追加の情報が追加されます。この記事で使用している彼の追加の洞察力のためのジョナサンマクダウェルに感謝します。

北新体制:金正恩氏の後見役、張成沢氏の素顔





【朝鮮日報】2011/12/24 13:00
 北新体制:金正恩氏の後見役、張成沢氏の素顔

「側近とのパーティーで、酔った金正日が理由は分からないが、張成沢のほおを殴った。他の側近ならば『自分は終わりだ』と感じ、足が震えるはずだ。しかし、張成沢は私の方を見て笑った。度胸があり、カリスマもある」

 韓国に亡命した故ファン・ジャンヨプ元朝鮮労働党書記は「北朝鮮で金正日のほかに自分の名前で人を使う唯一の人物が張成沢だ」と語っていた。


■二度の粛清と復活

 金正日総書記の妹、金敬姫労働党軽工業部長の夫である張成沢氏は、自分の側近を固めようとして、金総書記に2回も「粛清」された経験を持つ。金総書記の義理のおいに当たる李韓永氏(1997年に暗殺)の自伝などによれば、張氏は1978年、東平壌外交招待所で週1回、自分の側近たちとパーティーを開いていたことから、保衛部に摘発された。報告を受けた金総書記は「お前(張氏)はなぜ私のまねをするのか」と責め、張氏を降仙製鋼所の作業班長へと追放した。張氏はそこで2年間の「革命化教育」を受けた。当時、張氏を救ったのは、金総書記の妻で、長男・金正男(キム・ジョンナム)氏の母に当たる成恵琳氏だ。成氏は80年2月16日、金総書記の誕生日に張氏を強引に呼び、金総書記の前に立たせ、「張成沢を許してほしい」と頼んだという。


 張氏が金総書記の信頼を取り戻したのは、1989年の平壌世界青年学生祝典の前後だ。当時、平壌再建設事業を担当していた張氏は、全国から資材と人材を集め、期限内に工事を終えた。金総書記は「努力英雄」として張氏を称賛し、三大革命小組部長(1989年)、党組織指導部第1副部長(1995年)などに抜てきした。当時、張氏の長兄、張成禹次帥(2009年死去)は、平壌防衛部隊の第3軍団長に昇進し、次兄の張成吉中将(06年死去)中将は、戦車軍団政治委員として活動するなど、張氏3兄弟は順調に出世した。


 しかし、張氏は2004年初め、側近の豪華な結婚式に出席したことが問題になり、派閥形成の疑いで再び失脚した。当時の労働党で「張成沢人脈」とされた幹部も全て左遷された。張氏は70年代末とは異なり、地方には追放されなかったが、全ての職位を​​失った。2年間の公の場から姿を消した張氏は06年、党第1副部長として復帰したのに続き、07年末には党行政部長に昇進し、司法・公安機関を統括した。治安政策研究所のユ・ドンリョル先任研究官は「金総書記が張氏をけん制しながらも、右腕として使ったのは、同じ母親を持つ妹の金敬姫の夫だからではないか。金総書記は晩年を迎えるほど、親戚のほか、金日成主席の側近の子孫に当たる革命第2世代を重用する傾向を見せた」と分析した。

■ナンバー2か、権力奪取か

 金総書記は生前、派閥の形成を全く許さなかった。しかし、張氏には二度も警告しながらも、「金正恩氏の後見役」を任せた。対北朝鮮消息筋は「義弟である張氏の能力を知っていたため、妹の金敬姫氏とともに若い後継者を守ってほしいという意味だ」と分析した。

 しかし、張氏が金総書記の遺志を最後まで貫くかどうかは分からないとの見方も少なくない。国防委員会副委員長兼党行政部長として、公安機関を掌握しているため、反対派の監視と支持勢力の拡大にも有利な地位にある。

 張氏は軍の将軍だった2人の兄の威光を背景として、李英浩総参謀長、金永春人民武力部長ら軍の実力者らにも近い。02年には経済視察団の一員として、ソウルを訪れたこともあるほか、中国にも人脈があるとされる。張氏は改革開放に積極的だとの見方もある。こうした理由から、「(張氏が)首陽大君になることにあり得る」(情報当局者)という分析も聞かれる。首陽大君は15世紀に朝鮮王朝の第6代国王・端宗から王位を奪い、自ら王位に就いた。2001年まで13年間、金総書記の料理人を務めた藤本健二氏は「2000年ごろ張氏の役職が組織指導部第1副部長から(平の)副部長へと降格されたことがあったが、誰も張氏を『副部長』と呼ぶことができず、『部長』と呼んでいたほど威勢があった」と話した。


 張氏の性格についての評価は分かれる。張氏と一緒に労働党内で働いたことある脱北者は「ユーモアのセンスに優れ、ソフトなほうだ。相手の気持ちに合わせるスタイルだ」と語った。しかし、ある幹部出身の脱北者は「冷たい」と証言した。張氏のライバルだった李済剛組織指導部第1副部長は昨年5月末、張氏が国防委員会副委員長に昇進する数日前に疑わしい交通事故で死亡した。


【朝鮮日報】2011/12/24 15:02
北新体制:張成沢氏の側近、「社労青の4人組」とは

崔竜海・党書記…崔玄・元人民武力部長の息子、金正恩氏と共に人民軍大将に
文京徳・平壌市党責任書記…政治局の最年少候補委員、張成沢氏と共に来韓も
李英洙・党勤労団体部長…32歳で社労青のトップに、張成沢氏と共に失脚・復権を経験
池在竜・駐中北朝鮮大使…労働党員より200万人も多い社労青で成長


社労青の4人組
 北朝鮮の張成沢労働党行政部長は、1982年に朝鮮労働党青少年事業部の副部長となり、中央の舞台に登場した。現在「張成沢派」に分類される人脈の中には、80―90年代に張成沢氏が朝鮮労働党の青年事業に携わっていたころから近い関係にある顔ぶれが多い。これらの人物は昨年9月、朝鮮労働党代表者会で金正恩氏が金正日総書記の後継者に内定し公の場に登場した際、同じタイミングで一斉に躍進した。


 昨年、金正恩氏と共に人民軍大将の称号を受け、党書記・党中央軍事委員に昇格した崔竜海氏や、政治局の最年少候補委員(54)にして平壌市党責任書記を務める文京徳氏、李英洙党勤労団体部長、池在竜駐中北朝鮮大使などは、80年代に張成沢氏が管轄していた社会主義労働青年同盟(社労青)の出身だ。これらの人物は「社労青の4人組」と呼ばれる。社労青は朝鮮労働党の青年組織で、組織員数は労働党の党員(最大300万人)よりも多い500万人と推定されている。


 崔竜海書記は、崔玄元人民武力部長(1907―82)の息子で、86年に社労青中央委員長を務めた。文京徳書記はかつて社労青副委員長を務め、04年に張成沢氏が「分派助長」の嫌疑で失脚した際、ほかの社労青出身者と共に地方に左遷された。しかし、「ボス」の張成沢氏が07年に党行政部長に昇進すると、09年に行政部副部長のポストに電撃的に登用された。また、文京徳氏は02年10月、張成沢氏に随行して経済視察団の一員として韓国を訪れた際、常に張成沢氏の傍らに付き添い、指示事項を忠実に履行する姿を見せた。李英洙部長は、78年に32歳という若さで社労青のトップの座に就き、86年に崔竜海書記に委員長職を譲るまで、8年にわたり在職した。その後04年に張成沢氏が失脚した時、地方に追いやられたが、張成沢氏が復権した06年、党行政部の副部長として復帰を果たした。


 池在竜・駐中北朝鮮大使も、社労青で成長した。高官出身のある脱北者は「金養建党統一戦線部長や金永日党国際部長も、70年代に張成沢氏が党国際部で勤務していたころ、一緒に働いていた」と話した。

日本でプロレス界の大物として認められた力道山(本名:金信洛)の娘婿、朴明哲体育相は、張成沢氏の古くからの側近だ。朴明哲氏は04年、張成沢氏と共に表舞台から姿を消したが、昨年6月に体育相に起用された。朴明哲氏の父、パク・チョンホは、金日成国家主席(かつては首相)から韓国にスパイとして派遣されたが逮捕され、59年に死刑になった。こうした理由から、金日成主席は朴明哲氏を重用したという。また朴明哲氏は02年の釜山アジア大会の時、朝鮮体育指導委員長として北朝鮮選手団を率い、韓国を訪れた。北朝鮮に詳しい消息筋は「昨年9月の党代表者会より3カ月早く朴明哲氏が復帰した時、“張成沢ライン”の完全復活を予想した」と語った。朴明哲氏は、体育相への登用に先立ち、09年に国防委員会参事として復帰した。


 張成沢氏の軍部での人脈はまだ明確になっていないが、北朝鮮軍の次帥と中将を務めた2人の兄のおかげで「軍部でも、張成沢氏と親交のある人物は少なくないだろう」(対北消息筋)という分析が多い。特に張成沢氏は、08年8月に金正日総書記が脳血管疾患で倒れて以降、非常事態に陥った政局を収拾する過程で、朝鮮労働党だけでなく軍にも自分の側近を多数配置したとの見方が出ている。また、金正恩体制の「新軍部」の中心人物として浮上した李英鎬総参謀長も、張成沢氏と親しい間柄にあるという話も聞かれる。

 これに対し、白承周国防研究院安保戦略研究センター長は「軍部内に(は)、張成沢氏に反対するグループがある。張成沢氏によって排除されたと推定される李済剛組織指導部第1副部長(2010年に不審な交通事故により死亡と親しかった軍関係者らが、“反張成沢グループ”とみられる」と語った。