2011年12月11日日曜日

米軍は神経ガスサリンを用意

【SAPIO】2011年12月28日号

 日本国が降伏していなかったら、米軍は神経ガスサリンを用意していた

 当時の状況が、米軍化学戦部隊の極秘資料を入手した米ソルトレークシティ市の新聞『デザレット・ニューズ』(1994年8月4日付)によって、明らかにされている。

 米統合参謀本部は、サリンを使用すれば、日本に侵攻してもほとんど死者を出さずにすむと信じ、ドイツ崩壊後から米軍が太平洋で毒ガス戦を展開できるよう、マスコミと協力して世論づくりをしていた。

 またジュネーブ協定で毒ガスの使用は禁止されていたが、日本軍が中国で使用したという事実が、米国側の罪悪感を軽減したとも指摘する。

NHKドラマ「真珠湾からの帰還~軍神と捕虜第一号~」

NHKドラマ「真珠湾からの帰還~軍神と捕虜第一号~」
総合テレビ12月10日午後9時~10時半。

1941年に小型潜水艇「甲標的」で真珠湾攻撃に出撃し、太平洋戦争の捕虜第1号となった故酒巻和男

NHK名古屋放送局制作

1941(昭和16)年、「甲標的」の搭乗員に選ばれた酒巻和男少尉(当時16歳)は、愛媛県の佐田岬半島の三机で訓練に励んでいた。その年の12月8日、酒巻ら10人は5艇の「甲標的」に乗り込み、真珠湾攻撃に参加するが、9人が戦死。大本営は戦死者9人を「九軍神」とたたえ、ただ一人生き残って太平洋戦争での捕虜第1号となった酒巻の存在を隠そうとする。米国内で捕虜生活を続ける酒巻は、なぜ自分だけが生き残ったのか、生かされた自分は何をすべきなのかを考えていく……

 撮影は約1か月、小豆島や名古屋市などで行われた。

空母「瑞鶴(ずいかく)」

〇_瑞鶴
  翔鶴型の2番艦
  満排3万2105トン 全長257,5

  真珠湾攻撃時、全機帰還


【神戸新聞】2011/12/08 07:45

民間の造船所・川崎重工業神戸工場(神戸市中央区)で初めて建造された空母「瑞鶴(ずいかく)」搭載機は84機。僚艦「翔鶴」とともに真珠湾攻撃に参加した。

 瑞鶴は、戦艦大和などによるフィリピン攻撃を成功させるため、米艦隊を北方に誘い出す“おとり艦隊”として出撃。瑞鶴は開戦以来、損害が少なく、「武運艦」といわれた

1944年10月25日、フィリピン沖のエンガノ岬沖海戦で米軍機が来襲。瑞鶴は沈没。843人が亡くなった

【飛燕】 初飛行から70周年

日本陸軍の三式戦闘機「飛燕」の初飛行から70周年

川崎航空機工業岐阜工場(現・川崎重工業岐阜工場)で設計、製造され、1941年12月12日には試作機の第1号が各務原飛行場(現・航空自衛隊岐阜基地)で試験飛行した。

 発動機は水冷式を搭載。主流だった空冷式と比べると胴体が細長い。設計は川崎航空機工業の土井武夫で、2849機が製造された。

 発動機が工場に届かずに飛燕が工場やその周辺に約3百機、置かれていた

現在、オーストラリアの航空機レプリカ製造会社が飛燕の復元作業を進めている

島田紳助 9月下旬から京都市内のホテルに宿泊

【女性セブン】2011年12月22日号

島田紳助(55)

8月23日に引退会見

9月下旬から京都市内のホテルに宿泊、毎日のように病院に通っていたという

10月20日、京都市内の総合病院で老衰で父・長谷川民雄さん(享年87)永眠

 民雄さんは1924年に京都市に生まれた。染め物店の次男で、祖父が「商売人は勉強する必要はない」という考えだったため、幼いころは勉強させてもらえなかったという。それでも、現在の大阪外語大から国鉄(現・JR)にはいった。そんな経験から、ひとり息子の紳助には小さいころからしっかり勉強させたいと思い、小学3年生のときから家庭教師をつけた。

実家は3階建ての立派な一軒家。

ネイサン・ロスチャイルドの冒険 目次

ネイサン・ロスチャイルドの冒険


目次


第一章 フランクフルト


第二章 メッセンジャー


第三章 ユダヤ人街の大火


第四章 布地の仲買人


第五章 戦費調達がもたらしたチャンス


第六章 ワーテルローの戦い


第七章 「どんぶり勘定」で破綻寸前に


第八章 国際的起債のグローバル・スタンダードを目指す


第九章 アムシェルの贅沢


十章 ロスチャイルド家の家族・結婚観


第十一章 ユダヤ人への迫害

【中国軍】 核弾頭の総数3千発 /フィリップ・カーバーが公表

【NEWSポストセブン】12月11日 07:10

米国防総省の元高官フィリップ・カーバー(ジョージタウン大教授)らの研究グループがこのほど米連邦議会の公聴会で、中国が保有している核弾頭の総数は米露両国が予想していた約430発のほぼ7倍の3000発以上に達し、中国全土に張り巡らされた総延長5000キロにも及ぶ地下トンネル内の軍事秘密基地に隠匿されていることを公表した

 2008年5月に発生し、6万人もの犠牲者を出した四川大地震で、白い防護服を着た中国軍の核技術者数千名が被災地に動員されたことや、被災地の地表の陥没状況などから、大規模なトンネルが存在し軍事秘密基地が建設されていることにカーバー氏らは気づいたという。

カーバー氏は冷戦時代、ペンタゴンで核戦略研究に携わり、共和党の政策スタッフとして、中国の核兵器開発をウォッチしており、中国軍の資料から大量の核ミサイルが地下に保存されている事実を把握していた。

ペンタゴンを退職後、同大学に移っても、中国の核戦略についての研究を続け、グーグル・アースや中国の軍事専門誌、戦争や軍を扱った中国のテレビドラマや映画などから、大規模な地下トンネルを主体とした軍事秘密基地の存在を確信していた。

カーバー氏は学会やシンポジウムなどで折りに触れて、中国の秘密基地の存在をアピール。ついに、中国軍は2009年12月、中国中央テレビ局の番組の中で、軍のミサイル専門部隊である第2砲兵部隊が15年間にわたって、中国各地で地下トンネルを堀って、秘密基地を建設し、核兵器を貯蔵していた事実を認めた。このテレビ番組では、地下トンネルは総延長5000キロにも及び、「地下の万里の長城」と呼ばれていることも明らかになった。

そしてこれらの事実から、中国が保有している核ミサイルの数について、「3000発以上」と割り出した。

中国軍は核ミサイルの保有数を発表しておらず、米国など西側では「435発」というのが定説になっていた。これは、1960年代末、ペンタンゴンが各種情報によって発表したもので、それ以来、この数字が定着していた。

ところが、核兵器を貯蔵するための地下トンネルが5000キロに及ぶことが分かり、核ミサイル1発貯蔵するのにトンネル10キロは必要ないことから、研究グループでは「3000発」という数字が妥当との見方を明らかにした。

米露両国は冷戦時代、ともに1万発以上の核ミサイルを保有していたが、2018年までに核弾頭を1550発以下に削減する新戦略兵器削減条約(新START)を今年2月に発効させた。この1550発の根拠は「米露以外の核保有国が有する核弾頭数の総数をやや上回る数」というものだが、中国がすでに3000発以上もの核弾頭を保有しているとなれば、この新START自体まったく意味をなさなくなる可能性も出てきた。

【八戸港】 護衛艦ひゅうがが寄港

〇_護衛艦ひゅうが、いかづち
 12月05-07日 小樽港
    10-12日 八戸港八太郎岸壁


 青森地本本部長
 2011年4月 増田 友晴1空佐(45)広島県安芸郡熊野町出身

         防衛大学校33期(電気)
         89幹候
         職種 :飛行(F-15パイロット)

2011/11/29 新着イベント情報に「ひゅうが」「いかづち」一般公開ポスターをUPしました。



【東奥日報】2011年12月10日
 海自護衛艦「ひゅうが」八戸寄港

 海上自衛隊の護衛艦「ひゅうが」が10日、八戸港の八太郎岸壁に寄港した。同港の白銀岸壁には護衛艦「いかづち」が寄港。両艦は11日、それぞれの岸壁で一般公開される。